プロフィール

はじめまして。

女性の自立を応援するカウンセリング

「しあわせ自立マインドメソッド」カウンセラーの

理恵と申します。

私自身も経験した、

モラハラ、DV、HSP、愛着障害、アダルトチルドレン、トラウマ、

また、夫や恋人から支配される人生から脱却する為の

マインドの持ち方、変え方をカウンセリングしております。

HSP、愛着障害、アダルトチルドレン、トラウマからの

「どうして私はこんなに生きづらいのだろう」

また、夫婦関係や恋人との関係からの

「夫(恋人)に怖くて自分の気持ちを伝えられない」

「本当は我慢し続ける人生を変えたい」

そんなお悩みをお持ちの方に寄り添い、

あなたの人生を変えるヒントをお伝えしています。

カウンセラーの私自身を知っていただくために、

そしてそんな支配されていた私でも

こうして変わる事ができた過去をお伝えしますので

ぜひ最後までご覧ください。

母は私の7歳年上で障害を持つ息子に対して

健常者として産んであげられなかった罪悪感、

また母親特有の息子への愛着もあり溺愛していました。

「お兄ちゃんはかわいそう、お兄ちゃんは可愛い、

それに較べてあんたは可愛くないのよね。

私は「好きで健常者に生まれたわけじゃない、

私も障害者として生まれてくれば良かったのに」

とその言葉をかけられる度に悲しい気持ちになりました。

その2人の関係に違和感、疎外感を感じていましたが

その事実は友人、親戚に言えず自分の胸に秘めていました。

兄のわがままは全て許すが、

私は全てを否定され体罰、言葉の虐待が続きました。

「あんたは何をしてもだめね、取り柄がないのよ」

そうなんだ、私は何をしてもだめで

取り柄のないダメ人間なんだ、生きてる価値も無いなと

ずっと自分に自信が持てず

門限を1分でも過ぎると閉め出され

数時間するとようやく自宅に入る事を許可。

その後「しつけ」と称される体罰が始まる毎日でした。

毎日のように「しつけ」と称される体罰は中学生まで続きました。

「あんたは産むつもりは無かったんだけど

お父さんがどうしても女の子が欲しいって言うから産んだのよ」

そうか、産むつもりはなかったんだ、

仕方なくお父さんが頼んだから産んだのか、

と生まれてきたことへの罪悪感を抱えていました。

その幼少期、学生時代の体験によって

常に自分の感情に蓋をし我慢する生き方をするようになっていきました。

大学卒業の際、当時は就職氷河期で就職もままならず

新聞のチラシで見つけた販売員の仕事へ。

2年程勤務し職場の移転を機に退職。

その後子供の頃から憧れていた歌手になる為に

音楽スクールに入学。

しかしデビューするきっかけはつかめず

そのままスクールの受講期間が終了。

24歳の時から複数の業界の営業アシスタント業務に従事しました。

この営業アシスタントの経験でコミュニケーションスキルが格段にアップしました。

31歳の時に1度目の結婚をしました。

一見穏やかな外見だった夫が結婚後に

が発覚。お酒を飲むたびに暴言、暴力をふるう日々でした。

また、不妊の原因は私だと主張し

責められ続けました。

と自分に言いきかせていました。

しかし、そんな日々に耐え切れず33歳の時に離婚。

同時期にそれまで派遣社員として勤務していた企業から

正社員登用の申し入れ、正社員になり

充実した日々を過ごしていました。

その後、38歳の時に再婚。

充実した日々が続くかと思っていました。

41歳の時に職場の人間関係が起因し

不眠、涙が止まらない、自殺念慮など不安定な精神状態となりました。

心療内科で受診したところ鬱病との診断。

通院を始めました。

服薬でなんとか仕事を続けていましたが

更に人間関係が悪化し通勤、業務ができない状態となりました。

休職、復職を繰り返し43歳の時に退職。

追い打ちをかけるようにその頃から元々あった夫からのモラハラが悪化。

ひきこもりになりました。

私の退職をきっかけに夫は本業を行いつつ副業を始めました。

そして大失敗。負債を抱えてしまいました。

負債は私の退職金で返済したものの苦しい経済状況となりました。

夫も2年後に脱サラしましたが

それ以降も夫からのモラハラ、DVは続き

怯え暮らす日々を送っていました。

また自分の意見を伝えたり

夫の意に沿わない行動をとると感情的になり

更に

のループは続きました。

「どうしてすぐにそんなに怒るの⁉」と言う私に対し

全て夫に合わせないと感情的になり

「なんで俺に合わせないの!」と責め立てられていました。

私は

と人生を諦め、そんな夫にひたすら我慢し続けていました。

なぜなら「経済力がない」からです。

そして常に私の記憶から離れる事のない母親からの虐待、暴言がフラッシュバックしていました。

と自問自答していました。

48歳の時に夫から言われた

「そんなに俺の言うことが聞けないんだったら

離婚してもいいんだよ」

という言葉によって

と思い立ち夫に

を伝えました。夫はその突然の宣言に驚愕。

必死に私に離婚を考え直すようにせまった後に

夫婦生活で初めて

と謝罪したのです。

その後、以前から興味を持っていた

カウンセリングスクールに入会しました。

そこで学んだのは

など、小さな目標から始めて常に自分を褒めて許す事、

そこから少しづつ目標を上げていくこと。

心が悪い循環に入っても

それを早い段階で気づき修正していくこと。

また、悪い循環に入ってもそれでもいいのだ、

という事でした。

それはカウンセラーになる為に学び始めた事でしたが、

学んでいく中で

だということに気づいていきました。

そして私はその学びの中でやっと

私はこれまでの経験から女性に寄り添う

カウンセラーとして活動しています。

あれから夫は少しづつ改心し私の夢、

やりたい事に理解を示すようになりました。

今後はカウンセラーとして活動しながら最終的には

何かを始める事に早い、遅いは無い。

あの時、夫から離婚をほのめかされた時に

それまでと同じように夫に謝り、すがっていたら

どうなっていたでしょうか。

私だって変わることができたのです。

自分が変われば周囲の人も徐々に変わっていきます。

そのあなたが変わるきっかけ作りを

私にお手伝いさせていただければ嬉しいです。

最後までお読みいただいてありがとうございました.

当カウンセリングはあなたに寄り添いお話を伺った上で

そしてあなたが

をお伝えしています。

あなたとお会いできることを楽しみにしています。